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福島家庭裁判所相馬支部 昭和40年(家)331号 審判 1965年10月01日

申立人 大木啓子(仮名)

相手方 大木邦男(仮名)

主文

一、相手方は申立人に対し、

(イ)  昭和三九年六月五日から同四〇年五月一七日までの費用として金一二万九、七九六円を、

(ロ)  昭和四〇年五月一八日から同年九月三〇日までの費用として金一万三、六〇〇円を、

それぞれ昭和四〇年一二月二五日限り、福島家庭裁判所相馬支部に寄託して支払え。

二、相手方は申立人に対し、昭和四〇年一〇月一日以降双方が別居して婚姻を継続する間、一ヵ月当り金三、〇〇〇円を、毎月二五日限り福島家庭裁判所相馬支部に寄託して支払え。

三、申立人のその余の申立を却下する。

理由

第一、申立の要旨

申立人は「相手方は申立人に対し、(一)、昭和三九年六月五日から当事者双方が同居するまで一ヵ月当り、申立人について金一万円、典子について金八、〇〇〇円の各割合で福島家庭裁判所相馬支部に寄託して支払え。(二)、申立人の衣類を引渡せ。」との審判を求め、その理由として

一、相手方と申立人とは昭和三七年五月一日結婚式を挙げ、同年八月一八日婚姻の届出をした夫婦であるが、その後同三八年二月二〇日に、両名の間に長女典子が生れ円満な生活を営んでいた。

ところが申立人が、典子の着物購入のため一度店の売上金のうちから、断りなく使用したことで憤激を買い、同三九年六月五日から生家に帰えされ、爾来再三の謝罪にも拘らず帰宅が許されず今日まで別居している。その間三九年七月福島家庭裁判所相馬支部に調停を申立て同居を求めたが、不成立に終り、審判に移行して同支部から「相手方は申立人と、相手方の許で、同居せよ」との審判を得たが、相手方は一向に同居しようとしない。

二、申立人は生活費や着替の着物がなく困窮しているので、別居中、婚姻から生じる費用として、申立人と長女典子の生活費として、生家に帰えされた昭和三九年六月五日から別居中一ヵ月当り、申立人には金一万円、典子には金八、〇〇〇円の割合による金員の支払いと着替の衣類の引渡しを求めるため本件申立に及んだ、

というのである。

第二、事実の経緯と当裁判所の判断

そこで調査の結果によると次の実情が認められる。即ち

一、申立人と相手方とは昭和三七年八月一八日に婚姻し、その間に長女典子(昭和三八年二月二〇日生)を儲けた。

申立人はその後相手方の家業(海産物商)によく精励していたが、相手方の家人は金銭についてはやかましく、申立人には少しの自由もきかされなかつた。しかし典子が不憫なところからその着物を購入するため偶々店の売上金から金三、〇〇〇円を無断で使用したことで、姑大木トクや相手方から痛く叱責され、謝罪しても許されず、遂に昭和三九年六月五日に生家に帰えされるに至つたものである。

二、その後も再三、再四詫びを入れ、帰宅の上同居を求めたが容れられないので、昭和三九年八月三日に福島家庭裁判所相馬支部に夫婦同居の調停を求めたが同年一〇月五日不成立となり、審判に移行して同四〇年一月一八日右同裁判所相馬支部から「相手方は申立人と、相手方の許で、同居せよ」との審判を得た。しかしそれでも相手方は申立人の同居を肯んじないで別居を続けている。

三、申立人は生後一年余にしかならぬ典子を抱えているので生家での生活中、収入もなく、手伝をするにも十分できないため、生活の一切は両親やその家族の世話のもとに暮している。殊に典子は病気を患いまた怪我をしたため入院の上治療を受けるなどのこともあり、その費用として金八、三四六円を費した。その他日常生活には食費だけでも、少くも一日当り、申立人は金二〇〇円、典子は金一五〇円を必要とした。さらにまた申立人と典子の着替の着物類は相手方に置いたままになつており、その引渡を求めても相手方はこれを聞き入れないので困窮している状態であつた。

四、そこで申立人は相手方に対し、生活費と衣類の引渡しを求めるため本件の調停を申立て、回を重ねて話合つたが昭和四〇年五月一四日遂に調停は不成立に終り、本件審判に移行するに至つたものである。

五、ところで申立人が昭和四〇年五月一八日に典子を連れて相手方宅に衣類の引渡しを受けに行つたところ、相手方は典子を置いて行かなければ衣類は渡さないというので、やむを得ず典子を相手方に引渡し、自己の衣類を受取つて再び生家に戻つた。

六、相手方の家業は、福島県○○郡○○町大字○○○字○○六八番地で海産物商を営んでいるものであるが、それは海産物卸株式会社大木商店として営業しておるもので、相手方の父治作、母トクはともに同会社の取締役である。相手方は肩書住所には住んでおらず、右の商店に起居して、その使用人名義で働いている。しかし右の商店は株式会社ではあるが所謂家族会社であつて、その実体は個人商店と殆んど違わない。税務署の報告によれば相手方家の収入は、父の治作が代表取締役として年間(昭和三九年度)金四二万円の給与と配当金四万六、〇〇〇円、不動産使用料(家賃)金六万円合計金五二万六、〇〇〇円を得ており、母大木トクは無報酬であり、単に配当として年間金八、〇〇〇円を得ている。相手方邦男も亦年間金六万円(月五、〇〇〇円)支給されていることになつている。しかし相手方は煙草も相当すつているようであり、これで同人の生活費を賄いうるものではなく、実際の生活費用は父母において負担し、右の金員は所謂小遣にすぎないものと認められる。従つて相手方は前記月五、〇〇〇円がなくとも生活には困ることがないと思われる。

七、思うに、相手方と申立人とは、たとえその間に紛争が生じ互に別居していたとしても当事者間になお婚姻関係が継続し、夫婦としての身分関係が存続する限り、相互扶助、婚姻より生じる費用を分担する等の権利義務も存続するといわねばならない。申立人は別居以来自己の生活費や典子の衣食費、医療費その他の養育費は一応実父の援助により支弁してきたところであるが、これは相手方が妻子に対し生活費や養育費等を全然渡さなかつたためであるから相手方は右の費用についての負担を免れることができない。そして以上の義務は請求によつて生じるのではなく、身分関係の発生と同時に発生するものであるから申立時以前の分についても支払いの義務がある。そして婚姻から生じる費用には妻子の生きるに要する食費、衣服費、医薬費等が当然に包含されているものである。そこで相手方に対しどの程度に負担させるべきかに付いて考究しなければならない。

(イ)  申立人と相手方とが別居した昭和三九年六月五日から典子を相手方に引渡した昭和四〇年五月一八日の前日までの三四七日間は、前記事情によると申立人は殆んど働けない事情にあつたものというべく、そうすればその間の申立人と典子の食費の全部と典子の医療費の全部は相手方において負担すべきものである。そうすると食費は前述の通り一日少くも、申立人が金二〇〇円、典子が金一五〇円を必要とするから、三四七日分は合計金一二万一、四五〇円となり医療に要した費用は金八、三四六円であるからこれを合算した金一二万九、七九六円は相手方が分担すべき義務がある。しかし直ちに支払えとするのも酷であるから支払期限を昭和四〇年一二月二五日限りと定めるのを相当と考える。

(ロ)  そして申立人は昭和四〇年五月一八日以後については、典子を相手方に引渡し、幾分なりとも手伝なり、他所で働くなり、なし得る状態であるから、自己の身廻り品の費用と食費の半分は自らこれを負担し、食費の残り半分即ち一日一〇〇円を相手方に負担させるのが相当であると考える。そうすれば相手方は昭和四〇年五月一八日から、双方が別居して婚姻を継続する間、一日金一〇〇円の割合の費用を負担すべきである。しかし本審判をなした前日である九月三〇日までの一三六日分は一括して支払うべきものとし、その後である昭和四〇年一〇月一日以降の分については一ヵ月を三〇日として計算し、一ヵ月分金三、〇〇〇円を毎月二五日限り支払うことにするのが相当と考える。そして前記の一三六日分の金額は合計金一万三、六〇〇円となるがその支払期限は(イ)の金額と併せ、その支払期限を昭和四〇年一二月二五日限りと定める。

そしてその支払方法については、申立に基き相手方は福島家庭裁判所相馬支部に寄託して支払うべきものと定める。

八、次に衣類の引渡については、申立人は既に昭和四〇年五月一八日に、相手方からその引渡を受けて目的を達しているから、この申立は却下する。

第三、結論

以上の通りであるから本件申立は、相手方が申立人に対し

<1>  昭和三九年六月五日から同四〇年五月一七日までの生活費として金一二万一、四五〇円と医療費金八、三四六円の合計金一二万九、七九六円と

<2>  昭和四〇年五月一八日から同年九月三〇日までの生活費として金一万三、六〇〇円を昭和四〇年一二月二五日限り

<3>  昭和四〇年一〇月一日以降双方別居して婚姻を継続する間、一ヵ月当り金三、〇〇〇円を、毎月二五日限りそれぞれ支払を求める限度で認容すべきものとし、それぞれ福島家庭裁判所相馬支部に寄託して支払うべきものとする。申立人のその余の申立は却下すべきものとして主文のとおり審判する。

(家事審判官 藤巻昇)

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